ぎっくり腰になって、思いがけず災害対策が役に立った / 生成AI時代のブログエントリの執筆

2024-03-23
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ぎっくり腰になって、思いがけず災害対策が役に立った

ぎっくり腰になった…。重いものを持ったときになるというイメージだったけれど、しゃがんでいただけで前触れもなく襲ってきた。まる二日間、まったく身動きが取れずただただ寝るしかなく、トイレに行くのにも精一杯で買い物なんて到底無理な状態だった。

おかげで、思いがけないところで災害対策が役に立った。普段から防災のために食料を買いだめしていたおかげで飢えずにすんだ。まさか、外部の災害によってではなく、自身の身体が原因で役立つとは…。反省点があるとするなら、洗い物をしなくてもすむように紙皿や割り箸、カップラーメンのような食器と一体となっている食品を用意していなかったというのがある。インフラに限らず「できて当たり前のことができなくなった場合」というのをちゃんと考えて備えないとあかんなと反省した。

病院に行くかどうか本当に迷ったが、色々ググってみると二、三日は様子をみて良いということで様子を見ることにした。どのみち、発症したのが土曜日の午後で病院も休みだったし、自宅を出ることすら困難な状態だった。三日目になり座っているだけなら辛くない状態になり、様子をみているとだんだんよくなって、一週間たったらほぼほぼ元通りの生活ができるようになった。

ぎっくり腰というと漫画やドラマで「またぎっくり腰?」という冷たいリアクションがされるシーンがあるが、今回自ら経験してみて、そんなリアクションですまされる痛みでないことがよーくわかった。

生成AI時代のブログエントリの執筆

👆の文章は、話の要点を単文でリストアップしてChatGPT 3.5に投げて書かせたものをベースに自分がリライトしている。まあ、生成結果をみると自分の単文のリストをChatGPTがリライトして、それをさらに自分がリライトするみたいな状態である。

それで、文法的には正しいんだけど文章がこなれてないな〜と思う部分がそれなりにあって結構手直ししていたのだけど、途中で「この文章にこのコストかける価値があるのか?」と、ふと思ってしまって。所詮、ただの日記の文章だしコストかける意味がないのではと。

今後はChatGPTに生成させて間違いとか文章の破綻を修正する程度で公開しても良いかなと考えていたのだが、ここまで書いて「果たして自分は何を書いているのか?」という点が重要なのかもしれないと思い至った。上記の文章で言いたいことは「ぎっくり腰になって買い物できなかったけど防災が役に立ったぜ!」って点で、要は事実である。だが、それとは別に自分は自分の文章で表現したいという欲求がある。それは当然、生成AIにはできず自分にしかできないことである。

「大量生産品があるのになんで手作りするの?」ってのと同じだろうと思うが、linyclarという奴がどういう文章を紡ぐのかは自分が書かなければ伝わらないので、生成AIを活用しつつも、表現は自分で考えていこうと思った。