ハンロンの剃刀を逆から当てる

2025-08-09

ハンロンの剃刀という有名な言葉がある。「無能で説明できるなら悪意を見出すな」という警句なのだが、逆方向からも考えた方が良いのではないかと気づいた。

それに思い至る具体的な話は省略するが、言いたいことは「無能である蓋然性が十分に高いなら、無能以外に原因を見出すな」ということである。

昨今、やれ心理的安全性だHRT原則だパワハラだと言って相手の能力否定は禁忌とされている。それゆえに、「忙しいから仕方がない」とか「疲れているからうっかりしていたのだろう」とかそういう善意の解釈によって無能以外の原因を見出して間違った対処がされることが多いのではないか。

まあ、そもそも、心理的安全性を謳うなら「彼は雑談のファシリをしているだけで、自己組織化を促すような行動ができていないのでスクラムマスターとして振る舞えていない」みたいな批判はチームの生産性に対する懸念と問題指摘として歓迎されて然るべきなのだが、大半の人間は批判されること自体を嫌っているし、批判すること自体がリスクと解釈しているので、「率直に意見をいう対人リスクを安心して取れる」心理的安全性とは真逆の環境を腹では望みつつ、口では心理的安全性!HRT原則!などと唱えているのだから全く笑えない冗談である。

そういう笑えない状況下において、「疲れているから、スクラムマスターとして自己組織化を促すような行動をとる余裕がなかったんだよ」とか「マネージャーの仕事が忙しいから、タスクを放置しちゃったんだよ」といった解釈によって無能以外の原因説明がされる。たとえ、幾たびも同じようなミスをしていたとしても。

いうまでもなく何も問題は解決しない。本当の原因を見て見ぬふりして別の原因をでっちあげるのだから当たり前だ。

スクラムマスターがスクラムマスターとして振る舞うことができていないなら、単に能力不足である。マネージャーがマネジメント対象のマネジメントができていないなら、単にマネジメント力不足である。それ以外に原因を見出すべきではない。

能力不足であることを認めることで初めてスタートラインに立てる。「だから、役職を外す」「だから、トレーニングを受けさせる」「だから、熟練者をサポートとしてつける」など進むべき方向に前進できるようになる。

最後に、それでも無能という結論を避ける人に以下の引用を贈る。

人びとの死についてこの男に罪があることは間違いない。たしかに、船主は自分の船の安全性を誠意をもって信じていた。しかし、そのような誠意はなんら罪を軽くするものではない。船主には、目の前にある証拠を信じる権利がなかったからだ。その確信は、忍耐強い調査によって誠実に得られたものではなく、疑念を押し殺すことによって得られたものだ。最後には、そうとしか考えられないという確信に至ったとしても、わかっていながら意図的に自分にそう思い込ませたのだから、責任を問われねばならない。

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