LLMという金槌
この記事は クラウドワークス グループ Advent Calendar 2025 シリーズ1の7日目の記事です。
前置き
最近知ったんですが、アルゴリズムの対義語はヒューリスティックというそうですね。
計算機科学には明るくないのでバブルソートからTransformerとかまでアルゴリズムだと一緒くたに認識してたのですが間違いのようで。
それで、調べてみるとアルゴリズムにも目的ごとに種類があって、プログラムに限らず日常生活でも目的ごとに使い分けていることに気づきます。
例えばスーパーで買い物中に100円単位で計算して大体いくらぐらいだなと考えるのは近似アルゴリズムになるはずです(0〜品数x99円の誤差)。
あるいは、値札のついてないアンパンを手にして、高くても200円ぐらいだろうと考えて買うのはヒューリスティックな例になるでしょう。
LLMはどんな道具か
前述の通り、人間は目的にあった手法を選んで問題に対する答えを得ようとします。
正確な結果が必要なら正確な結果を出す決定的アルゴリズムを使うでしょうし、アバウトで良いなら近似アルゴリズムを使うはずです。
ソートアルゴリズムなどはライブラリとして提供されているので、そういう意味ではアルゴリズムはもはや道具とも言えます。
では、LLMはどういう手法を実装した道具かというと、それはヒューリスティックです。モデルを構築するための手法は乱択アルゴリズムみたいですが、構築されたモデル、つまり馬鹿でかい関数ですが、その関数は統計的な計算に基づいて構築された式でしかありません。きちんとした事実やロジックに基づいて結果を返すわけではなく、統計的な情報を元にそれっぽい結果を返しているだけです。
これ自体は、ハルシネーションやポチョムキン理解で批判されている範疇の話です。
重要なのは、LLMをヒューリスティックな道具と認識することです。
LLMをいつ活用するべきか
弊社でもご多分に漏れずAI活用が言われているのですが、エンジニアの私からすると「結果が不安定なLLMを使うぐらいなら、スクリプト書いてどうにかするわ!」というのが本音です。実際、LLMに計算をやらせて間違っているとか、繰り返しタスクをやらせて結果が不安定といったケースを見て、決定的アルゴリズムであるスプレッドシートやスクリプトを組んで解決手段を置き換えたことがあります。
私はこの経験から「決定的アルゴリズムで解決可能な問題をLLMにやらせるべきではない」という教訓を得ましたが、逆にLLMをいつ使うべきかという答えは出せていませんでした。
ところが、LLMをヒューリスティックな道具と認識すると簡単な話になります。アルゴリズムよりもヒューリスティックな手法が適しているときにLLMを使えば良いのです。
「ヒューリスティックな手法が適している」とは
ではアルゴリズムとヒューリスティックのマトリクスを作って意思決定をしようといった話になるわけですが、マトリクスを参照しても統一した結論にはならないはずです。
無論、データが構造化されているかとか、実装コストや運用コスト、求められる精度といった内容でマトリクスは作成できますが、それらは人や状況によって評価が変わってきます。
例えば、スプレッドシートで計算可能な問題(決定的アルゴリズム)でも、計算ロジックがわからなかったり、データの構造を見抜けなかったりするとヒューリスティックな手法を取らざるを得なくなります。
あるいは人の知識や能力によらず、本当は構造化されたデータにできるにもかかわらず、構造化されていないのでヒューリスティックな手法を取らざるを得ないというようなケースもあるでしょう。
しかし、これらの例をよくみると積極的な理由でヒューリスティックな手法を選んではいません。マトリクスを作って活用するなら、消極的な理由でヒューリスティックな手法を選んでいないか、消極的な理由の原因を根本解決すれば決定的アルゴリズムの手法で解決できるようにならないか検討するという点になるでしょう。
LLM がヒューリスティックな道具でなくなるとき
よくLLMでこういう欠点があるとか、こういう問題があるみたいな記事に対して「これまでのLLMの進化スピードを見れば、そういった問題も来年、再来年には解決しているはずだ」みたいな発言を見ますが、統計的な計算に基づいて構築された式でしかない以上、精度や質は上がっても問題が完全になくなることはないでしょう。
仮にそれが達成されるとするなら、完全に別方向からのブレークスルーが必要になるんじゃないでしょうか。
あるいは、精度や質の問題なのだから許容範囲に収まっていればいいという考え方もできますが、それこそどの程度の精度を許容するかは人や状況による話です。
なので、よほどのブレークスルーが起きない限り、現状の系譜ではLLM がヒューリスティックな道具でなくなるときは来ないだろうと思っています。
まとめ
このエントリで言いたかったことは、以下の3つです。
- LLMはヒューリスティックな道具である
- ヒューリスティックな手法が適しているかは人や状況による
- 消極的な理由でヒューリスティックな手法が適していると考えているなら、消極的な理由の原因を解決できないか検討するべきである
金槌を持つと全て釘に見えると言いますが、LLMを本当に使うのが適しているのか考えるヒントになれば良いかなと。